学 区 の 概 要

 この口田学区は、広島市安佐北区東部の最南端に位置しており、台地状の土地に沼地・ため池が点在する純農村地帯として長い歴史を経過してきた。
 また地理的に太田川周辺を見渡せる好位置にあるため、1600年の昔から人が住みつき、一大豪族の勢力にあった地域とも言われ、数多くの遺跡も発掘されている。
 明治6年に小学校が創設され、幾多の変遷を経ながら、昭和45年ごろまで児童数200人程度の小規模校として歩み続けてきた。現在の校名「口田」の名称は、学区を大きく二分する[矢口」の「口」と、「小田」の「田」を併せて呼ぶようになったと言われている。
 しかし、昭和45年ごろから、急速に進む住宅化に伴い、住宅団地「ふじランド」 「大歳園」「梅園」などが続々と開発され、児童数も急増し、昭和52年には1075名となり、 昭和53年には口田東小学校の新設分離となった。
 また、住宅化するに従い、学区全体の雰囲気も変わり、静かな農村特有の生活様式も、次第に都市型のものへと変容してきた。さらに、近年は大型集合住宅等の増加もあり、ますます拍車がかかってきている。加えて県道広島向原線が学区を貫通しており、旧高陽町地区に新開発された団地等の影響もあり、極めて交通量の多い学区となっている。