**太田川と広島市**
太田川は、中国山地の高峰「冠山(1339m)*佐伯郡吉和村*」に源
を発し、大小72の河川の支流を集め広島湾に注いでいる延長103qの川
であります。
100万都市広島市は、江戸時代初期には数本の川と掘割に囲まれた水の
都でしたが、掘割は埋め立てられ放水路の完成までは7本の河川の太田川の
デルタの町として発展してきました。
この太田川の水を利用する広島市の上水道は、明治31年(1898年)
全国5番目の近代水道として創設され、広島市への原子爆弾投下の日も断水
することなく流し続けられております。
@ 太田川の流域面積と長さ
川の大きさは流域面積によって定められております、この流域面積は川を中心に山
の頂上と反対側の山の頂上を結んだ線(面)で表示されます。
川の長さは、源流(水が湧き出ている場所)から海までの長さとなりますが、太田
川の源流は吉和村の冠山(1339m)にありますが、川と海の境については「海に
最も近い川に架かる橋の中央」とされております。
昭和42年(1967年)に完成した太田川の放水路により、海に最も近い川に架
かる橋の中央は、旧太田川の吉島橋または新しい放水路に架かる新庚午橋かはっきり
しません。
太田川の下流域(太田川三角州・・デルタ地帯・・)の広島市内では、昔は7本の
川に分かれていましたが、放水路の完成で現在は6本になっております。
1 日本の川の流域面積の広い川(ベスト5)
|
順位 |
川の名前 |
流域面積 |
流域都道府県名 |
1 |
利根川 |
16,840 〓 |
茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、東京 |
2 |
石狩川 |
14,330 |
北海道 |
3 |
信濃川 |
11,900 |
新潟、長野 |
4 |
北上川 |
10,150 |
岩手、宮城 |
5
|
木曽川
|
9,100
|
長野、岐阜、愛知、三重、滋賀
|
|
|
注 太田川( 1,700〓)は、江の川( 3,870〓)に次いで、広島県では第2
番目全国では第39番目の大きさです。
2 日本の川の長さの順(ベスト5)
|
順位 |
川の名前 |
長 さ |
参考 |
1 |
信濃川 |
367 q |
|
2 |
利根川 |
322 |
|
3 |
石狩川 |
268 |
|
江の川 全国第 12 位 194 q |
|
|
4 |
天塩川 |
256 |
|
太田川 全国第 50 位 103 q |
|
|
5
|
北上川
|
249
|
|
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3 世界の川
|
順位
|
流域面積 ベスト5 |
川の長さ ベスト5 |
川の名前 |
面 積 |
国 名 |
川の名前 |
長さ |
1 |
アマゾン川 |
70,500 〓 |
ブラジル |
ナイル川 |
669 q |
2 |
ザイール川 |
36,900 |
ザイール |
アマゾン川 |
630 |
3 |
ミシシッピ川 |
32,480 |
アメリカ |
長江(中国) |
553 |
4
|
ラプラタ川
|
31,040
|
アルゼンチン
ウルグアイ |
黄河(中国)
|
467
|
5
|
ナイル川
|
30,070
|
エジプト
|
ザイール川
|
437
|
|
|
A 太田川と安佐大橋について
太田川に架かる「橋」は沢山あります、身近なところでは安佐大橋があります、昔には上流の太田川橋と下流には吊り橋の「工兵橋」の間には橋はなく、川船を利用した「渡し」と呼ばれる箇所が幾つかあって貴重な交通の手段でありました。
現在の安佐大橋のある場所にも「高瀬の渡し」がありました、このほか口田地区には「弘住の渡し」「東野の渡し」がありました。
初代の「安佐大橋」は、吊り橋で幅員2m前後で自転車での通行は可能でしたが自動車などは通れませんでした、現在の安佐大橋は、昭和36(1961年)年に完成し、その後専用の歩道橋が付けられましたが、この橋の長さは314mであります。 同じ時期に「安芸大橋」ができましたが、「安芸大橋」も最初は吊り橋(この橋は最初から自動車が通行できる橋)でしたが、太田川の河川改良工事が完成して現在のような橋(3648m)に生まれ変わっております。
太田川で一番長い橋は、一般道では国道191号線の山県郡加計町に架かる「加計大橋(3887m)」です。
高速道では中国横断自動車道の「太田川橋(7435m)」が太田川に架かる一番長い橋です。
ところで、安佐大橋と太田川橋の間には「高瀬堰」が建設されておりますが、この高瀬堰は広島市を中心に遠くは瀬戸内海に浮かぶ島々の飲料水を提供する水源地としての機能のほか、太田川の洪水調整など多目的ダムとして昭和46年(1971年)から工事が始められ、昭和50年(1975年)10月に完成しました。
堰の高さは55m、長さ273mでありますが、洪水時にはゲートを開放して治水機能を発揮するほか、日量60万〓の上水、工業用水の供給を行っております。
このほか、魚道や船通しを設置して「川」の機能も考えた施策が高じられております。
B 太田川水系の主要河川にすむ魚
|
魚 名
|
太田川 |
|
根の谷
川 |
矢口川
|
備 考
|
下流域 |
|
|
三篠川 |
中流域 |
上流域 |
|
ヤマメ |
|
|
|
|
○ |
|
|
アマゴ |
|
|
|
|
○ |
|
|
サツキマス |
○ |
○ |
○ |
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|
|
ニジマス |
|
|
|
|
|
|
|
ゴギ |
|
|
|
|
○ |
|
|
アユ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
ワカサギ |
○ |
|
|
|
|
|
|
スゴモロコ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
イトモロコ |
|
|
○ |
|
|
|
|
ムギツク |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
ビワヒガイ |
○ |
|
|
|
|
|
|
ニゴイ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
ズナガニゴイ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
カマツカ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
ウグイ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
タカハヤ |
|
|
|
○ |
○ |
|
|
カワムツ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
オイカワ
|
○
|
○
|
○
|
○
|
○
|
|
|
|
|
|
魚 名
|
太田川 |
|
根の谷
川 |
矢口川
|
備 考
|
|
下流域 |
|
|
三篠川 |
中流域 |
上流域 |
|
ハス |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
|
ギンブナ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
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|
|
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|
|
|
|
|
|
|
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|
|
|
ゲンゴロウブナ |
|
|
|
○ |
|
|
|
|
|
|
|
|
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|
|
|
|
|
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|
|
|
|
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|
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|
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|
コイ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
ヤリタナゴ |
|
|
|
○ |
|
|
|
アブラボテ |
|
○ |
|
○ |
|
|
|
シロヒレタビラ |
○ |
|
|
|
|
|
|
ドジョウ |
|
|
|
○ |
○ |
|
|
シマドジョウ |
○ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
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スジシマドジョウ |
○ |
○ |
|
○ |
|
|
|
イシドジョウ |
|
|
|
○ |
○ |
|
|
マナマズ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
ハゲギギ |
○ |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
アカザ |
○ |
○ |
|
○ |
○ |
|
|
ウナギ |
○ |
○ |
○ |
|
|
|
|
メダカ |
|
|
|
|
|
|
|
オヤニラミ |
○ |
○ |
○ |
|
○ |
|
|
カワヨシノボリ
|
○
|
○
|
○
|
○
|
○
|
|
|
|
C 小田定用水
太田川の歴史を語るうえで「小田定用水」についての先人の苦労を知る必要があり
ます。その昔、小田地区は太田川の側にありながら農業用水の確保ができず、米づく
りができなかったため、北の庄と呼ばれていた頃の庄屋丸子市郎兵衛さんによって企
画され、その子丸子市兵衛さんにより完成したものであります。
1 小田定用水とその取り入れ口
この場所は、現在の高瀬堰の下流約100m〜200m付近にあって、矢口部落 会が所有していた瀬尻山の突端の太田川をせき止め、小田信鳥(おだのぶとり)ま での42qに農業用水路を切り開く工事でありました。
現在、この農業用水路は矢口地区においては供用されておりませんが、弘住神社 横の太田川からポンプアップされた水は、この小田定用水路を使って小田地区の田 畑に大切な水を提供しております。
この太田川をせき止めてつくられていた小田定用水の取水口付近は、沢山の魚が 泳ぎ、多くの釣り人達の集まるところでありましたが、太田川の河川改修工事によ り全て撤去され、その姿を見ることができなくなっております。
2 小田定用水ができるまで
この「小田定用水」は、この地方が「安藝國安北郡北ノ庄」といわれていた頃の 庄屋丸子市郎兵衛が、庄内の灌漑用水の確保のためにと、太田川に井堰を築くこと を提案してつくられたものであります。
明暦元年(1655年)2月に着工され、完成したのは明暦3年(1657年) 4月との記録があります。
当時の小田地区は、良質の土地でありながら灌漑用水を引くための水路がないた め、胡麻や粟のみが作られて、米を作る農地は、鳥越池と梶面池などにたよる僅か の地域に限られていたため、当時の人々は、青々とした稲田を見るたび定用水路の 確保が早くから叫ばれ、時の庄屋であった丸子市郎兵衛さんが提案し、その子市兵 衛さんが父の意志を継ぎこの計画を着手したのであります。
丸子市兵衛さんによるこの用水路計画は、矢口の瀬尻山(せじりやま)下の菰掛 (こもがけ)から小田信鳥(のぶとり)にいたる長さ一里二丁二十間(約42q) の間に、幅一間余(2m)の本溝を掘る計画でありました。
工事を着工して3年で完成したこの用水路でありますが、着工するまでには7年 間も費やしたと、次のような古い記録が残されています、「当時の藩主に願い出て も実地検分で役人に潰されて、最初に鍬入れがおこなわれたのは明暦元年(165 5年)2月といわれ7年間が費やされた」とあります。
さらに、この小田定用水の工事着手にあたって、丸子市兵衛さんは「若し、事成 らずばと斬罪される日、自分の首を曝すへく首棚を建設す。」と弘住神社の社前に 自分の首棚をつくり工事に着手したと記され、この難工事のために市兵衛さんも一 度は短刀を脇腹にあてたとの記録もあります。
全ての工事が完成したのは、明暦3年(1657年)4月ですが、太田川をせき 止める工事は、さすがに難工事であったようで、「毎日数十隻の石積舟を雇って、 石を積ませ予て計画をしていた河身に石を投げ込ましたが、多くの石は水の上に波 紋を乱す亂すのみで底に沈み、着いた手應へは更に感じられなかった。」と古い記 録に残され、水が乗らなかった用水路には赤土を塗り詰めたともいわれております
が、この時に「短刀を脇腹にあてた」ともいわれております。
3 友竹瀬尻山あたりは「トウノダン」といわれた!
友竹(ともたけ)瀬尻山の麓の太田川をせき止め、井堰が築かれて取水口とした 小田定用水ですが、この瀬尻山あたりは「トウノダン」といわれ、「口田村史」に は次のように「この山中には、塔の段と申す地あり、五重塔跡在り。何寺の申受は 相知不申言々(郡中国郡志)宮島の五重の塔が此處に建てありしものなりと古老は 言へり。」と記録が残されております。
また、この小田定用水をつくり太田川から水をひくことについて、隣村の「玖の 円正寺の前の田は、昔は水はけのよい良田であった。寛文のころ、小田から太田川 に堰を築き田へ水を引きたい、と承諾を求めてきた、玖では相談した結果、小田で 堰をつくったからといって別に差しさわりはあるまいということで、承諾の返事を したのであった。ところが小田に堰ができてみると、玖の田は水はけの悪い田にか わってしまった。」と高陽町史に記録が残されおります。
4 橋の下にある橋の下の川の下にある用水路!
現在は、矢口地区では共用されていませんが、遠く瀬尻山の麓の太田川をせき止 めて、小田地区まで灌漑用水を引くためには相当の技術が必要で、小田の庄の庄屋 丸子市郎兵衛さん父子が、命をかけて完成させたこの「小田定用水」は、弘住洞門 の陸橋の下では、矢口川の川底の下を横切って水が流れる仕組みになっており、陸 橋の下には矢口川にかかる橋があり、この橋の下の矢口川の下を横切っていて、い わゆる「橋の下の橋の下の川の下を流れる用水路」となっております。
このような「川」の下を潜る場所は、他にもあってJR芸備線安芸矢口駅付近で は絵坂川の下を横切って流れておりました。
また、現在の「友竹水門」のあるあたりでは、用水路の水が必要なくなる冬には 「水落とし」をするため、太田川に用水路の水を戻すための水門が設けられ、その 水門の近くには用水路の水が溢れて水害を招かないようにと、一定量の水しか流れ ないようにと、溢れ出た水が太田川に還元されるようになっておりました。
〔 参考 〕
広島県の絶滅の恐れのある淡水魚
広島県の淡水魚種は、比較的豊富であると考えられていますが、平成7年11
月に発表された「広島県の絶滅のおそれのある野生生物(レッドデータブックひ
ろしま)」によると淡水魚類では、絶滅危惧種11種、危急種1種、希少種2種
の14種が広島県の絶滅の恐れがある野生生物に選定されている。
1 絶滅危惧種(11種)
○ スナヤツメ ○ ゴギ ○ メダカ
○ サクラマス ○ サツキマス ○ ゴクラクハゼ
○ サケ ○ スイゲンゼニタナゴ ○ カジカ
○ アユモドキ ○ アカザ
2 応急種(1種)
○ オヤニラミ
3 希少種(2種)
○ スジシマドジョウ ○ イシドジョウ
平成7年11月に発表された資料(調査)により生息が確認された移入された
魚類(本来広島県内には生息していなかった魚類)は、ワカサギ、イワナ、ニジ
マス、ハス、ソウギョ、ワタカ、ホンモロコ、ビワヒガイ、ゼゼラ、スゴモロコ
ニゴロブナ、ゲンゴロウブナ、タイリクバラ、タナゴ、カダヤシ、カムルチー、
タイワンドジョウ、オオクチバス、ブルーギルなどであ。
これらの外来種は、魚類の生態系をこわし在来の魚種の絶滅につながる恐れが
あり県の条例により放流を禁止されているものがあります。
しかし、ブラックバスやブルーギルなどの移入が禁止されている魚種の稚魚が
太田川においても見られますが、これらはアユなどの放流の際にその中に混じっ
ていたものと考えられております。